町長メッセージ2025年度

更新日:2025年05月23日

辰野町にある2つの祠のお話

辰野町の北方、王城山の中腹にある「七蔵寺」のすぐ下に「鹽竈(しおがま)神社辰野分社」があります。5月5日に例大祭が執り行われました。伊那谷最古のお寺と言われる「七蔵寺」は有名ですが、「鹽竈神社分社」は地元の人にもあまり知られておりません。七蔵寺参道石段のたもとに「桂(カツラ)の大木」があります。鎌倉時代の武将・小笠原長経(ながつね)公がこの木に「子持ち木」と名づけ、子宝に恵まれない人がこの木に祈願すれば子宝を授かると言い伝えられてきました。ところで、この「子持ち木」の生い茂る所へ「安産の神様」をまつることが、最もふさわしいと唱え始めた方々がいます。七蔵寺歴代総代を務められた皆さんです。宮城県塩竃市に総本社がある「鹽竈神社」と交渉を重ねた結果、昭和41年5月5日、ついに総本社「鹽竈神社」からの分社が実現しました。以降、毎年5月5日に例祭を執り行うようになりました。お寺の役員がお宮の神様を招いたという興味深い話です。

七蔵寺参道石段の左手に鎮座するご神殿

七蔵寺参道石段の左手に鎮座するご神殿

安産の神様が宿る桂の大木「子持ち木」

安産の神様が宿る桂の大木「子持ち木」

町役場横を流れる横川川に架かる中央橋の下流50mの右岸に「富川稲荷(とみかわいなり)」があります。5月11日、例大祭が執り行われ、五穀豊穣や商売繁盛などにご利益があると云われています。愛知県豊川市の「豊川稲荷(とよかわいなり)」は有名ですが、名前が似ているためかよく間違われます。言い伝えによると、いつの時代か定かではありませんが、近くを流れる横川川が増水氾濫した時に、上流から何かが流れてきた。拾い上げるとそれは「祠」であった。おそらく木製の祠だと思いますが、その祠をまつり、当時の町名「富川町」(現在は「東町」)から名前をとって「富川稲荷」としたそうです。以来、五穀豊穣、商売繁盛の神様として、地域の人々の信仰の対象となりました。赤い鳥居が連なる横には、店名が書かれた赤いのぼり旗が立ち並びます。写真映えする神秘的な空間です。

今月は、あまり知られていない町にある小さな神様をまつる祠を紹介させていただきました。ぜひ一度、お立ち寄りください。

神様の使者キツネが鎮座する祠

神様の使者キツネが鎮座する祠

商売繁盛祈願の赤いのぼり旗

商売繁盛祈願の赤いのぼり旗

令和7年5月

辰野町長 武居 保男

辰野町が誕生して今年で70周年

辰野町は、1955年(昭和30年)4月1日に、旧伊那富村が改称した旧辰野町と当時の朝日村が新設合併(合体合併)して、新たな辰野町が誕生して「70周年」を迎えました。ちなみに1956年(昭和31年)9月30日に川島村が編入合併、1961年(昭和36年)3月31日に小野村が編入合併して、今の辰野町の原型ができました。面積170.41㎢、人口2万2394人、戸数4931戸の辰野町が誕生したのです。

70年前の辰野町はどんな様子だったのでしょうか?昭和31年度、朝日地籍に着工した統合中学校(現辰野中学校)が昭和34年3月に落成したほか、町営辰野病院の宮木泉水への移転新築、荒神山スポーツ公園、町民体育館、美術館、役場庁舎、住宅団地の造成などの新改築が急ピッチで進められました。

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旧辰野町と朝日村の合併祝賀式会場

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武井方介初代辰野町長の祝辞

4月1日、新町発足70周年を祝い、庁舎正面に巨大な懸垂幕を掲げました。「カールおじさん」で知られるイラストレーターの「ひこねのりおさん」デザインのロゴマークもあしらいました。セレモニーでは役場職員による獅子舞や笠踊りも披露されました。先人が町の発展のために尽力していただいた「過去」に感謝しながら、「今」を一生懸命生きて、「未来」につなげていく、今年はそんな気持ちで町民の皆さんと一緒に歩んでいきます。この1年が明るく前向きになりますように。

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役場庁舎に掲げられた懸垂幕

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記念のロゴマーク「たつまる」

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役場職員による迫力ある獅子舞

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花笠踊りでセレモニーがとても盛り上がりました

令和7年4月

辰野町長 武居 保男