町長メッセージ2025年度

更新日:2025年07月18日

歴史の暗部「満蒙開拓団」から学ぶ

今年は「昭和100年」「戦後80年」そして私たちの町ができて「70年」の節目の年にあたります。辰野町は1955年(昭和30年)に伊那富村の前身「旧辰野町」と「朝日村」が合併して発足しました。今の辰野町は過去の歴史があって今があります。今月のテーマは「満蒙開拓団」。「伊那富村」の時代にさかのぼります。

今から94年前のことです。1931年(昭和6年)の満州事変で関東軍(日本の陸軍部隊)により1932年(昭和7年)に日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」が建国されました。当時の日本国内は世界恐慌のあおりを受け深刻な経済不況に陥っておりました。特に農村経済を支えていた養蚕業は大打撃を受け、農家は借金を背負い、町村自治体も多額の負債を抱えていました。疲弊した農村経済の立て直しや食糧増産の目的と「満州国」の支配、防衛といった目的を背景に「満州農業移民100万戸移住計画」が国策として推し進められました。1945年(昭和20年)の敗戦までの14年間に約27万人が移住しました。日本が敗色濃厚となる同年8月9日にソ連軍が満州に侵攻すると関東軍は逃亡、何も聞かされていない開拓団は過酷な状況に追い込まれます。ソ連参戦時の開拓団員の実数は22万3千人。戦局悪化で成年男子4万7千人が徴兵されたためで大半が老人、女性、子供で収容所での病死、戦闘への巻き込まれ、地元民からの襲撃、前途を悲観しての集団自決も48の開拓団にのぼり、約8万人が死亡しました。中には青少年義勇軍として組織された少年たちもいました。

7月13日、満蒙開拓平和記念館の寺沢秀文館長をお招きし「満蒙開拓の史実から学ぶもの」と題し戦後80年特別講演会を開催しました。出席者は約60名、寺沢館長の話に皆さん真剣に耳を傾けていました。

満州へ渡った開拓団のなかで長野県からの開拓団が約3万3千人と最も多かったようです。その内、上伊那地方が2,615人、辰野町からは318人と記録されています。長野県全体の帰還率は51.4%と約半分の方が帰還できなかったとのことです。

私自身、「満蒙開拓団」に関しては知らない事柄でありました。歴史の教科書にもその記述はなく先生からも教えて頂いたことはありません。「語られざる歴史」「知られざる暗部」「不都合な史実」だったのかもしれません。国策として大々的に宣伝され推し進められた事業なのに、あまりにその末路が壮絶なものであったためか、満州行きを進めた立場の人は責任を問われていたかもしれませんし、開拓団が入手した土地等はもともと現地住民の農地を略奪したものもあったとか、様々な背景があったようです。

本当の歴史を知ること、その歴史から学ぶこと、そして未来を描くこと、自分事として考えてみる深い一日となりました。

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講師の寺沢秀文館長

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満蒙開拓の歴史を紹介するパネル展

令和7年7月

辰野町長 武居 保男

2つの周年記念式典が行われました

1. ニュージーランド・ワイトモとの姉妹都市提携30周年記念式典 (6月9日 たつのパークホテル)

ニュージーランド・ワイトモ行政区とは、共に蛍の名所があることが縁で、1995年(平成7年)に姉妹都市を提携しました。これまで辰野町からは中学生をワイトモに派遣、その数も250名を超えています。ワイトモからも訪問団を受け入れ、今年も6月6日に訪問団が来町。ワイトモ姉妹都市委員会委員長のジャニス・マクドナルドさん、前ワイトモ市長のブライアン・ハンナ氏ら大人6名と小学生8名がホームステイをしながら「ほたる祭り」を見物したり、辰野東小学校や信州豊南短大を訪れ交流事業を楽しみました。6月7日には辰野ほたる童謡公園内にある「ワイトモガーデン」にて記念プレートのお披露目や記念植樹がありました。6月9日の式典は翌日朝に町を去る訪問団の送別会を兼ねて開催しました。これからも友好を深めていくことを誓い合いました。

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記念植樹(ワイトモガーデン)

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更なる交流と発展を誓った記念式典

2. 辰野町新町発足70周年記念式典(6月15日 辰野町民会館)

辰野町は1955年(昭和30年)4月1日に、旧辰野町と朝日村が合併して発足しました。何度も県大会で優勝経験のある辰野町消防団ラッパ隊のファンファーレで開幕。式典では、「食べ物絵師」の漆原さくらさんとトライアスロン選手の瀬戸郁美さんに、町の魅力発信に協力していただく「たつのふるさとパートナー」を委嘱しました。フルート奏者の赤羽泉美さんによるステージは、辰野中学校吹奏楽部との共演もありました。さらに辰野町内で撮影が始まっている映画「#ミチコイ☆道祖神」の舞台あいさつもありました。ホタルを軸に展開されるラブコメディーとのことです。伊那市出身のタレント成美(なるみ)さんがプロデュ―サーを務め、「かやぶきの館の女将役」女優の東ちづるさんも駆けつけて下さいました。来年夏の封切りが楽しみです。

 

今年は、これまでの70年の歩みを振り返り、過去に感謝しながら、未来に向かって皆さんと共に歩んでいきたいと思います。

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町発展の節目を祝った記念式典

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赤羽泉美さんのフルート演奏会

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新たにふるさとパートナーに委嘱

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成美さんと東ちづるさん(右)(舞台挨拶)

令和7年6月

辰野町長 武居 保男

辰野町にある2つの祠のお話

辰野町の北方、王城山の中腹にある「七蔵寺」のすぐ下に「鹽竈(しおがま)神社辰野分社」があります。5月5日に例大祭が執り行われました。伊那谷最古のお寺と言われる「七蔵寺」は有名ですが、「鹽竈神社分社」は地元の人にもあまり知られておりません。七蔵寺参道石段のたもとに「桂(カツラ)の大木」があります。鎌倉時代の武将・小笠原長経(ながつね)公がこの木に「子持ち木」と名づけ、子宝に恵まれない人がこの木に祈願すれば子宝を授かると言い伝えられてきました。ところで、この「子持ち木」の生い茂る所へ「安産の神様」をまつることが、最もふさわしいと唱え始めた方々がいます。七蔵寺歴代総代を務められた皆さんです。宮城県塩竃市に総本社がある「鹽竈神社」と交渉を重ねた結果、昭和41年5月5日、ついに総本社「鹽竈神社」からの分社が実現しました。以降、毎年5月5日に例祭を執り行うようになりました。お寺の役員がお宮の神様を招いたという興味深い話です。

七蔵寺参道石段の左手に鎮座するご神殿

七蔵寺参道石段の左手に鎮座するご神殿

安産の神様が宿る桂の大木「子持ち木」

安産の神様が宿る桂の大木「子持ち木」

町役場横を流れる横川川に架かる中央橋の下流50mの右岸に「富川稲荷(とみかわいなり)」があります。5月11日、例大祭が執り行われ、五穀豊穣や商売繁盛などにご利益があると云われています。愛知県豊川市の「豊川稲荷(とよかわいなり)」は有名ですが、名前が似ているためかよく間違われます。言い伝えによると、いつの時代か定かではありませんが、近くを流れる横川川が増水氾濫した時に、上流から何かが流れてきた。拾い上げるとそれは「祠」であった。おそらく木製の祠だと思いますが、その祠をまつり、当時の町名「富川町」(現在は「東町」)から名前をとって「富川稲荷」としたそうです。以来、五穀豊穣、商売繁盛の神様として、地域の人々の信仰の対象となりました。赤い鳥居が連なる横には、店名が書かれた赤いのぼり旗が立ち並びます。写真映えする神秘的な空間です。

今月は、あまり知られていない町にある小さな神様をまつる祠を紹介させていただきました。ぜひ一度、お立ち寄りください。

神様の使者キツネが鎮座する祠

神様の使者キツネが鎮座する祠

商売繁盛祈願の赤いのぼり旗

商売繁盛祈願の赤いのぼり旗

令和7年5月

辰野町長 武居 保男

辰野町が誕生して今年で70周年

辰野町は、1955年(昭和30年)4月1日に、旧伊那富村が改称した旧辰野町と当時の朝日村が新設合併(合体合併)して、新たな辰野町が誕生して「70周年」を迎えました。ちなみに1956年(昭和31年)9月30日に川島村が編入合併、1961年(昭和36年)3月31日に小野村が編入合併して、今の辰野町の原型ができました。面積170.41㎢、人口2万2394人、戸数4931戸の辰野町が誕生したのです。

70年前の辰野町はどんな様子だったのでしょうか?昭和31年度、朝日地籍に着工した統合中学校(現辰野中学校)が昭和34年3月に落成したほか、町営辰野病院の宮木泉水への移転新築、荒神山スポーツ公園、町民体育館、美術館、役場庁舎、住宅団地の造成などの新改築が急ピッチで進められました。

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旧辰野町と朝日村の合併祝賀式会場

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武井方介初代辰野町長の祝辞

4月1日、新町発足70周年を祝い、庁舎正面に巨大な懸垂幕を掲げました。「カールおじさん」で知られるイラストレーターの「ひこねのりおさん」デザインのロゴマークもあしらいました。セレモニーでは役場職員による獅子舞や笠踊りも披露されました。先人が町の発展のために尽力していただいた「過去」に感謝しながら、「今」を一生懸命生きて、「未来」につなげていく、今年はそんな気持ちで町民の皆さんと一緒に歩んでいきます。この1年が明るく前向きになりますように。

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役場庁舎に掲げられた懸垂幕

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記念のロゴマーク「たつまる」

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役場職員による迫力ある獅子舞

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花笠踊りでセレモニーがとても盛り上がりました

令和7年4月

辰野町長 武居 保男