町長メッセージ2026年度

更新日:2026年06月23日

ほたる寺の観音様 60年に1度の御開帳

「ほたる寺」とも呼ばれる「功徳山伝福寺(くどくざんでんぷくじ)」。京都の知恩院、東京の増上寺そして長野の善光寺が本山です。JR辰野駅から歩くこと5分、踏切を渡った右手、三輪神社の隣にひっそりとたたずむお寺で、昔から縁結びのご利益があるといわれています。ひっそりと縁結びのお願いができる隠れスポットとして、近年参拝者も増えているようです。そして今年は60年に1度の観音様の御開帳の年にあたります。前回の1966(昭和41)年の御開帳は、辰野駅近くの82銀行辰野支店駐車場まで像を運んだという記録があります。今回は辰野ほたる祭りの開催に合わせて同寺で公開の運びとなりました。

小さな境内には、「回向柱(えこうばしら)」を立てて「善の綱」で観音様とつながっています。その柱に触れることで良縁や恋愛の御利益が得られるとのことです。この季節、蛍が舞い上がり、人々に縁結びの幸せを与えたと伝えられる観音様。ほたる祭りの開催中、露店が立ち並ぶ商店街にも島倉千代子さんが歌う「ほたる小唄」が流れていました。その歌にも「ほたるでらなら、えんむすび」の歌詞が出てきます。作詞は地元の書道家・小浜梅窓(こはまばいそう)先生によるものです。

今回初めて観音様を拝顔いたしました。60年後は私はこの世におりません。できることなら辰野町上島の十一面観音様(国重要文化財)と同じように、毎年公開していただけないものでしょうか。ご検討をぜひお願いしたいものです。

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秘仏「縁結びの観音様」

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観音様と「善の綱」で結ばれた回向柱

令和8年6月

辰野町長 武居 保男

七蔵寺の半鐘の話(続編)~3つの半鐘の存在

伊那谷最古のお寺といわれる「七蔵寺の半鐘(はんしょう)」が供出を免れるため火の見櫓に架け替えられていた話を以前させていただきました(町長メッセージ2024年度 令和6年5月号をご参照ください)。

今年も5月5日に七蔵寺例大祭が同寺で行われました。その直会(なおらい)の席で、増澤利定総代会長からその半鐘にまつわるお話をお聞きすることができました。

実は当時から疑問に思っていたことがいくつかありました。1.火の見櫓に架けられていた半鐘は七蔵寺にお返ししましたが、その後に取り付けられた「消防用の半鐘」は誰が用意したのか。当時消防団では用意しておりませんでした。2.供出用に目を付けられた「本物の半鐘」の所在をどのように徴収担当役人に説明したのか。3.当該火の見櫓は昨年撤去されましたが、そこにあった半鐘は今どこにあるのか。

増澤会長の横には間隔をおいて2つの半鐘が並んでおりました。「真ん中の1つはありませんが、実は3つの半鐘があったのです。」と話が始まりました。一番右端の半鐘は元々お寺にあった正真正銘の七蔵寺の半鐘。左端の半鐘が代わりに火の見櫓に取り付けられた「消防用の半鐘」。総代会で造ったもので、火の見櫓撤去後は総代会が引き取ったそうです。そして2つの半鐘の間に実はもうひとつの半鐘があった。その半鐘が実は供出用に差し出されたとのことでした。その半鐘も総代会の皆さんが急遽造ったものだそうです。

当時の七蔵寺の総代役員の皆さんの半鐘を守ろうとする必死さが伝わってきます。発覚すれば自分たちが裁かれる。そんなぎりぎりの状況で自分たちの家族も守らなければいけません。かなり長期的な計画の元で極秘作業が進められたに違いありません。それぞれの運命を背負った3つの半鐘のお話でした。

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3つの半鐘・・・真ん中に幻の「供出用の半鐘」が見えてくるようです。

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火の見櫓に取り付けられた消防用の半鐘(左側)

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供出を逃れた七蔵寺の半鐘(右側)

令和8年5月

辰野町長 武居 保男

パソナグループと連携協定を結ぶ

話は31年前に遡ります。

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生しました。神戸市が火に包まれ多くの人の命を奪った大震災。当時消防団員だった私も心を痛めながら、遠くから小さな応援をさせていただきました。その3年後、この地震を引き起こしたとされる、震源に最も近い断層「野島断層」に記念館「野島断層保存館」が完成したとの情報を得て、仲間と現地に赴きました。約9kmにわたって地表に現れた野島断層の脅威をまざまざと感じ、壊滅した淡路島の惨状に言葉が出ませんでした。

今から10年前、テレビのある情報番組で「淡路島が大変貌~パソナ創業者南部靖之の挑戦」のタイトルが目にとまりました。パソナは全国の自治体や地元企業、地域の方々と連携しながら「人材誘致」による独自の地方創生事業を展開しているとの内容でした。文化・芸術・食・健康・教育など、国内外を問わず人が集まる「夢のある新産業」を創造し、地域の活性化と雇用創造に挑戦。2008年(平成20年)には日本の農業の活性化と就農支援に向けて「パソナチャレンジファームin淡路」をスタート、以来「人が集まる仕組みづくり」を進めている様子が映し出されていました。

2020年(令和2年)7月、ある女性がパソナグループから派遣されて辰野町役場にやってきます。国総務省の「地域おこし企業人制度」(その後「地域活性化起業人制度」に名称変更)を使って辰野町に舞い降りた女神こそ「福田幸子さん」その人でした。大活躍の3年間の任期を終え、いよいよパソナに戻ると思いきや、パソナグループを退職し、なんと「辰野町民」に。嬉しさと驚きで、さっそく私は東京青山のパソナグループの本社へ出向き、娘をもらう親の気持ちでご挨拶にお伺いしました。福田さんはこの3月末まで上伊那郡では初めてとなる国の制度「地域プロジェクトマネージャー」として役職を勤めていただきました。その福田さんは、今月4月1日に辰野町商工会事務局長に就任、今後ますますのご活躍が期待されます。

2025年(令和7年)2月27日、淡路市役所に赴き、門(かど)康彦市長(当時)にお会いしてきました。市長いわく「震災後、淡路市民は淡路出身であることを隠すようになってしまった。しかし今では胸を張って淡路出身であることを言えるようになりました。」との言葉が印象的でした。

2026年(令和8年)1月30日、パソナグループ副社長で淡路島の開発統括本部長の山本絹子さんにお会いできました。いっぱいの笑顔で迎え入れてくださいました。そしてパソナグループが淡路島で手掛けた多くの施設を案内してくださいました。興奮と感動の連続でした。

2026年(令和8年)3月27日、元パソナグループ社員の福田幸子さんが取り持ってくれた縁で、このたびの「町とパソナグループの包括連携協定式」の運びとなりました。パソナグループから9名の方が来町され、大出亮執行役員との協定書の取り交わしのときは万感胸に迫りくるものがありました。ずーっと「片思い」だった人と晴れて「両想い」となった瞬間でした。ただし今回がゴールではなく、これからスタート!パソナグループの皆さんと一緒に夢のある町づくりに向かって歩み始めたいと思います。

*パソナグループ(会社概要)・・・1976年(昭和51年)2月16日、南部靖之氏が人材派遣事業を立ち上げる。資本金50億円。人材サービスをはじめ、働き方づくりや人材育成、地域活性化など幅広い分野で事業を展開している。売上高3,092億円(前期)。社員数約23,000名。グループ会社数67社。創業50周年を節目に南部社長は退任、現在若本博隆氏が社長を務める。淡路島では地域資源を生かした地方創生に取り組み、豊富な実績がある企業である。企業理念は「課題を解決する」。

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大出亮執行役員(右)と協定書を取り交わす

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みんなそろって記念撮影

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山本絹子副社長(右)と(本年1月淡路島にて)

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縁結びの女神「福田幸子さん」

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今の淡路島には人気観光スポットがいっぱい!(AWAJI WEST COAST MAPより)

令和8年4月

辰野町長 武居 保男